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主語と述語のような演技

Equal-イコール-を上演したいと思ったのは自分がひっかかるキーワードがたくさんあったからでした。

その一つが思い出話の部分です。

 

思い出話について

 

まず一つ目の思い出話の部分ですが、

Equal-イコール-はそのすべての上演時間がニコラの部屋で行われますので、登場人物であるニコラとオデットは多くの部分で会話をすることになります。

幼馴染である二人の会話の種は、

・共通の知人の話

・思い出話

が中心となっていきます。

2年前に独り舞台で上演した「愛はないと ぼくは思う」

という作品は「思い出」をあつかった作品でした。

自分の恋愛の思い出と母親の恋愛の思い出をごまのはえさん

に戯曲にしてもらいました。

印象に残っているのは、

思い出話を舞台で上演すると、

普段とは違う時間が舞台で流れるということです。

お客さんとの共有の仕方が普段とはちょっと違うようになります。

もしかしたら、

思い出話は、

普通に話しを聞くよりも、舞台上で演劇にした方が伝わりやすい部分があるのかもしれないと思っているのです。

そしてお客さんから頂戴した感想の中で多くあって印象的だったのは、

「自分も思い出した」

という事です。

そして、実際多くの人がお芝居の感想もそこそこに思い出話をしてくれたのでした。

嬉しかったです。

思い出話がごまえのはえさんの戯曲になったことにより、個人的なものが公になりました。

そして自分は俳優として、この舞台では演じるのではなく「思い出す」事が大切なのだと思うに至りました。

思い出しさえすれば後はセリフを言うだけでよかったのでした。

 

主語と述語

 

そしてそれはとても「演劇的」だなと思ったのでした。

今まで自分がやっていた演技の多くは「修飾語」的だったのかもしれないとも思いました。つまり「主語」と「述語」を戯曲なり演出なり照明、音響、舞台にたくしていたのです。

「主語」と「述語」だけでは伝わりにくい部分もありますが、修飾語によって伝わりやすくなったり伝わりにくくなったりもします。

でも多分思い出話を舞台に乗せるのは主語と述語がいいのだろうなとも思っています。

主語・述語憧れが自分に沸き起こった瞬間でした。

「愛はないと ぼくは思う」

という戯曲でごまのはえさんの書いてくれたセリフで印象的な部分はこちらです。

僕は、一番大事な思い出も、お芝居にしてしまった。

僕は、あの娘との一番大事な思い出も、お芝居にしてしまった。

そして自分の母親のこともお芝居にしてしまった。

僕にはもう、本当のことなど何もない。

本当のことなど何もない。

何も、ない。

本当のことがないのが前提なのが舞台であると思います。

なんだかそれがロマンチックだなと思いますし、

そのロマンチックな事に

合田くんと

ぼくと

醜い部類の二人で挑むのがまたロマンチックではありませんか!

合田くんとぼくとで主語と述語でやってみようと思っています。


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