※「愛はないとぼくは思う」の元となった作品の台本です。
「お母さんとファック 」 作 ファックジャパン 上演2013年3月@KAIKA
昭和22年8月10日産まれ、名前? 元林三重子です。一番最初の記憶は・・・、
いや、生まれたところは生野区のね、今お米の精米の機械を置いている4丁目、あそこで私が産まれたらしいわ。
だからお父さんお母さん、今のお爺ちゃんお婆ちゃんやね。
で、姉が二人。私は三番目で産まれた三女、そういうことやね。
で、私の後に2年後に、あの、今菅沼にいってるおばちゃんが産まれてん24年生まれやからね。
で、女姉妹4人や。
お爺ちゃんはあの小学・・・昔で言うたら高等小学校を・・・えーと、私が聞いたんは
10歳で風呂敷包み一つ持って、汽車に乗って大阪に出て、大阪に着いたら駅の前に口入屋いうて今で言う職業案内所みたいなところがあるからそこへ行って、
なんか仕事探して「大阪で働けよ」って親に言われて金沢を出てきたって言うのを、
私はあのお爺ちゃんのお葬式の時にかな、
あの、お爺ちゃんの妹さんにあたるしんごのおばちゃんからそれ聞いて、で、
「雪の振る寒い日やったわ、私今でも忘れんわ。太一さんを母親と二人で、駅のホームで・・・別れ、たん・・覚えてる」
言うて、私それ聞いて泣いたわ。
わずか10歳やで。いまで言うたら小学3年か4年の子がよ・・・
そんなんたった一人で金沢から大阪へ出たって言うの聞いてほんまびっくりした。
で、そこでおじいちゃんは、なんかあの、これは私は古い記憶でお爺ちゃんからきいた記憶があんねんけど、
最初うどん屋へ行ったんやけど色々あってやめて、ほんで次に米屋へつとめたって言うてたわ。
その時その米屋いうのがね、結局うちのおばあちゃんのおばさんが森田米穀店いうのをしてはって、で、そこへ奉公にいったんやね。
でそこで一所懸命まじめに働いてたら、おばさんが
「たいちゃんはまじめでようはたらいてええこやな」
いうて、目かけてもろて、で、おじいちゃんが24,5ぐらいの時に、
その森田のおばちゃんやな、米屋の奥さんが
「私の姪がな、あの、あんたと年恰好が」
おじいちゃんが24、5としたら20ぐらいやったんちゃう。
「私の姪にな、あんたと似合いそうな子がおるからな、あの、一緒になれへんか」
いうて。
で、ひきあわされたんが、今のお婆ちゃんやな。
ほんで結婚して、太一さんはまじめやからな、一所懸命やったらな、米屋ちゃんとできるからいうて、
昔で言うのれんわけ、で26で、中川市場、生野区の中川町、今で言う猪飼野やね、
あそこで、米屋を26で始めて店をもったって聞いた。
それがあのお爺ちゃんの米屋のスタートやわ。
でお婆ちゃんと所帯、ふたりで所帯しながら・・・まぁあの米屋をし、やってたんやね。ほんでお婆ちゃんはいうたらやっぱりね、
母親の話を聞きたくなったのは私がまだ女性とセックスをした事がないからです。
こんな事を初対面の方も多い、こういう公の場で申し上げて良いのかどうかわかりませんけど、
私はまぁまぁエロい方の33歳の男です。
元林三重子の息子はエロくなってしまいました。
ですからやはり、セックスはしたいです。
そうですね・・・(考えて)、やっぱりセックスはしたいです。
包茎のチンコがコンプレックスで、だから2年前に包茎手術をしたりもしました。
それやのにその一皮むけたチンコで全然エロい事ができないんです。
正直に申し上げれば恐ろしいです。
セックスを知らずに死んでしまうんが恐ろしいです。
このまま40歳を迎えたら魔法使いになってしまうっていうおそろしい噂もあります。
私は魔法なんか使いたくありません。普通の人間として生きて、そして死んで生きたいんです。
それやったら風俗に行ったら良いやんかとおっしゃってくださる方もいるんですけど、
ちょっと違って、つまり私は、セックスする人間関係を結べない事に恐怖を感じているので
す。
ついこの間のことです。
生まれてきて一番哀しい朝をむかえました。
みなさん嬉しい事があったとしてもあんまり「やったー」って口に出して言わへんと思うんですけど、
久しぶりに「やったー」って言うた朝があったんです。
寝てまして、夢を見ていました。
夢の中では私にもちゃんと彼女がいて、
「なんや彼女いるやん、俺は普通の男やったんや、あー良かった良かった」
て安心してました。
それで、ま、夜になっていわゆるペッティング的な事をしようとして、
服脱いでこちょこちょしようとした時に積年の想いがこみ上げてきて、
感情がおさえきれなくなって思わず、
「ああ、やったぁ!」
て、言うてしもたんです。
ほんならその声で目が覚めまして。
おっぱいが天井にかわって・・・
おっぱいさわろうとして「やったぁ!」て言うて目を覚ます33歳って、
これほど最悪な事はないわけです。
枕見たらヨダレがべったりついててね。たぶん唇おしつけてたんでしょうけど・・・
その時めっちゃニヤニヤしてたんかもなとか想像するともうたまらんわけです。
起きて下着とかをはきかえながらずっと
「産まれてきてごめんなさい、産まれてきてごめんなさい」
言うて謝ってました。
それは世間にです。
あと、親に。
だからもう最後の手段なんです。
母、三重子はどのような過程を経て父、孝志と夫婦という人間関係を結ぶにいたったか。
その過程にこそ私のルーツがあり、
またそこにこそこの私が未だセックスできていない問題を解決させるヒントがあるのではないかと思いたち、
母に話を聞きに行ったんです。
私は母のことを何にも知りません、
母が母親になる前の事について何の興味も持っていませんでした。
当たり前の話ですけど母も生まれた時は赤ん坊で、それから段々と歳とっていって、
子どもから少女になって、10代20代をやせてる身体で過ごして、
30代になって肉づいてきて、
40すぎて50になって、
ほんで今の60代を迎えてるっていう時の流れを、
私は知らん振りしながら、今も知らん振りして過ごしています。
2013年1月3日。3丁目の実家で母はキリンの淡麗飲みながら大いに語ってくれました。
当たり前のように知らへん事ばっかりでした。
私は母親が自分と同じ小学校に通っていた事さえ知らなかったのです。
林寺小学校、木造やったよ私らの時は。せやから今だにあの、なんていうの懐かしくて来はる人いるわ。
「元林さんってあの、林寺小学校いてた?」
みんなお嫁に行っておれへんけど私は残ってるからな。
だから「へー」言うていわはる人おるね。
子どもの頃は、背ぇがちっちゃかったからね、嫌やったねやっぱり。
身体がちっさいいうのんで、なんかこう、いつでも一番前やし。
よう「チビチビ」いうてからかわれたりしたしね。
でもな、私、これ誰にも言うてないけど、
あの、なんか、
その当時林寺小学校の砂場でな、
悪い男・・・自分がま、3年生としたら6年生ぐらいの、私より身体の大きい子や、
その子と、喧嘩したんかなんかしらんけど・・・
あの、
私が勝ってんよ、
その子をこかしたんか、投げ飛ばしたんか。
とにかく必死で勝ったんやな。
で、その子がもう、いじめをようせんようになったんやな、
それまでしょっちゅうその子に嫌な事言われたりそんなんしてたと思うねん。
それ勝ったんや私! 覚えてるわ。
それが私の正義感の始まりやな。
それから中学、高校とずっと優等生で、
高校卒業して短大行けへんかいう話もあったけど、
はやく社会人になりたいいうて肥後橋の建材会社に就職してん。
万博がちょうどある頃やからすごく忙しい会社やったわ。18歳から5年ぐらいおったわ。
22ぐらいの時にその同じ会社の人に
「結婚を前提につきあってほしい」
って言わて付き合った人おったけどね、
それが初恋かな・・・。
私の後に入ってきたけど大学出てはるからね、歳は4つぐらい上やったわ。
それまでみんなでビアガーデン行ったりしてたんやけど、
お正月に、初出勤いうのが1月4日にあんねん。
初出勤いうて乾杯いうて帰るやん。
その時に、その人が京都に住んでて、
「京都案内するから」
いうて、
「みんな晴れ着きてるし、行こうや」
いうことになって課の女の子5人ぐらいで行って、下賀茂神社で蹴鞠してんのみたり、その人の実家に行って
晩御飯ごちそうになってかえったんやね。それから何回か二人で淀屋橋のクリサンテームていう喫茶店行くようになったりして、ほんで春ごろに、
「また京都にこない?案内してあげる」
言われて、私も始めてやったからね、デートに誘われたん。その頃からぼちぼちカップルの子らもいてたし、そういうもんかな思って、付き合い始めてんけどね、何回か京都いったんやね、詩仙堂とか植物園とか、ああ、そうや宝ヶ池のボートとか乗ったりしたわ。思い出した。
それからまたクリサンテームでな
「結婚を前提につきあってほしい」
って言われてん。
でも気が乗れへんかってん。
家の事情もあってな、私のところは婿養子に来てもらうしかないって思ってたから。
その人は銀行の支店長の息子やったからそら無理やろうなと思ったしね。
その、
事情がやっぱり言えなくてね。言いにくくて。
ゴールに向かってへんからやっぱり上手くいかへんねん。
録音した母親の声を何度も聴いている内に、
段々とその話をもう少しで思い出せそうな気がしてきました。
私が今京都に住んでいるからでしょうか。
詩仙堂とか植物園とか宝ヶ池にボート乗りに行くとか、
楽しそうで、実際楽しく過ごしてたんやろうと思います。
ええ感じやと思ってたやろうに、結局振られてしまった。
何度か食事に行ったり、お花見に行ったり、引越しを手伝ったりして、
楽しく過ごしてました。
その内に段々と好きになっていって、
今日この帰り道に想いを伝えようと決意をかためて、京阪の京橋から特急電車に乗りました。
縦並びの座席の方が2人っきり感出んのに、その日は残念ながら横並びの座席で、
でも楽しくおしゃべりしてました。
枚方駅すぎたぐらいで、会話が途切れて、気ついたらじっと彼女をみつめてて
それで
「見過ぎやで」
って笑われた。
その瞬間、
自分でも何でこのタイミングなんやろうって思うけど、
ものすごい鼻血がでてきて、
とまれへんくて、
お互いティッシュも持ってへんかったから樟葉の駅着くぐらいには上半身血まみれで
アメリカの殺人鬼みたいになってた。
前に座ってたお客さんはみんな見て見ぬ振りしてたけど、
彼女は爆笑してて。
すごい救われた気持ちになって、出町柳で気ついたら告白してた。
それで、
それっきり会わへんようになってしもた。
叡山電車に乗りかえて
一乗寺の駅降りて西の方にまっすぐ、20分ぐらい。
この道をあの時の二人もきっと歩いてたんやろうなって想像してたら、
なんやしらん盛り上がってきて。
詩仙堂に行ったんです。
「やっぱり庭がすごいからね」
と彼女は言う。
今日はデートや。
詩仙堂までの坂道を登りながら思い出してた。
自転車の後ろに彼女を乗せて坂道登ってたあの日の事。
その前の日にコンドームを買ったあのサークルKがまだあそこにある。
あのアパートの前で夜中に握手した。
握手した晩は嬉しくて立ちこぎで帰った。
中華料理屋で晩ご飯食べて、自転車で二人乗りで帰った。
彼女は酔っ払って背中に体重預けて眠ってる。
こんな幸せな事がほんまに俺の人生にも起こるんかと思ってドキドキしてた。
詩仙堂のすごい庭を眺めながら、こんなに雲がめっちゃ早く流れて行くんやなと思った。
ざわめいてる葉っぱってこんなに良いもんなんかと思って
赤い絨毯の上に座って感動してたら、
初めて女性のおっぱいを生で見たあの夜が鮮明によみがえってくる。
あの時も今と同じような感動がたしかにあって。
彼女のマンションに初めて行った。
おとなしい犬がおって、なついてくれた。
スパゲッティつくってくれて、
俺はサラダつくって、
ワイン飲んで、
夜になった。
二人とも背中合わせで、でも一緒のベッドに入った。
小ちゃいベッドやった。
ドキドキしてた。
俺は包茎のチンコやから
こんな包茎でセックスできんのかなっていうのがまず一番にあって、
不安が高まってて
一緒にベッド入っても何にもでけへんかった。
このままもう寝てしまうんやろうか、
少なくとも向こうはもう寝てるんちゃうやろかとか色々
ネチネチネチネチ思いながら、どれぐらいじっとしてたんやろう。
でもやっぱり色々と我慢でけへんようなって、
「あの」
って声かけた。
それでグルって回って彼女の方を向いた。
その瞬間気がついた。
声かけるかどうかはめっちゃ悩んでたのに、
実際なんて言うかはまるで考えてへんかった。
でも
「あの」
って言ってからあんまり間が空くと変な感じになると思って、
「ギュッとしていいですか」
って言うた。
彼女は何にも言えへん。
そやから
「あ、もう寝てた?」
って慌てて言葉つなげた。
ほしたら彼女は
「寝てへんよ」
って言ってグルッとこっちの方向いた。
急に距離がめっちゃ近なって。
それで、
抱きしめた。
「キスってなんか海で泳いでるみたいやな」
って彼女が言ってて、それを思い出してる。
ちょっとずつ服脱いで、何度も海にもぐった。
それで、その間もずっと思ってることがあって。
包茎やけど大丈夫かなって。
でもそんな不安は初めておっぱい見たときにふきとんだ。
初めておっぱい見たときは、なんやろうな、色々考えるより先に
「ああ」
って思った。
それで実際に声に出して
「ああ」
って言った。
感動してた。
言葉になれへんかった。
「ああ」
としか言われへんかったし、
「ああ」
としか思われへんかった。
それで、さわろうと思って手伸ばしたら、目が覚めた。
海になんか、もぐってへんかった。
おっぱいが天井に変わって、
あの夜もどこにもあれへん。
知ってたのに、知らんふりしてた。
それから詩仙堂を出て、宝ヶ池にボートを乗りに行った。
30分千円。
周りはやっぱり家族連れかカップルで。
1人でボート乗る人なんかおれへんねんやろうけど、
貸しボート屋のおじさんがずっと不安そうに
「もしかしたら自殺するんちゃうか」って言うような目でこっち見てて、
それが恥ずかしかったけど、
ボートの上から水面みてたら、
太陽が反射してキラキラ光ってて・・・きれいやった。
40年前もそう思ってたんやろか。
思い出してばっかりや。
夜中、梅小路公園のSL博物館に忍び込んで、キャッキャッ言うてた。
枚方パークに遊びに行った。
ジェットコースターに乗って、肩と肩とが時々くっついて、くすぐったかった。
深夜によくスターバックスに行った。
待ち合わせ場所に行って、
俺の顔見つけたら嬉しそうな顔してくれて
それがめっちゃ嬉しかった。
初めて喧嘩して仲直りした夜。
別れる前の日はしゃぶしゃぶ食べに行った。
しゃぶしゃぶ食べ終わったら、彼女は怒って帰って行った。
喫茶店で別れ話になって、合鍵をかえしてもらった。
家帰ったらドアノブに貸してた服が引っ掛けてあって、
「なんでや」
てつぶやいた。
植物園なんかもう何にも見る気おこれへん。
ずっと早足で歩いてて、でもほんまは帰りたくなかった。
クリサンテームでお茶飲みたくない。
・・・もう気づいてたんやろか。
知ってたのにしらんふりしてたんやろか。
伸雄『返事もせんまま・・・』
三重子『いや、やっぱりしたよちゃんと結婚できない・・・て』
伸雄『「なんでや」みたいな事言われるやろ?』
三重子『言われる。事情を話しせんならんやん。それが言えなくてやっぱり結婚できない、いうことに・・・』
母が父と出会ったのはお見合いの席で。
出会った時すでに父は母親の事情を知ってました。
京都の男が最後まで伝えられへんなかった事情を、
父は母に出会う前に知ってたんです。
そして、
その事が大きくて母は父との結婚に進んでいきます。
父は仕事終わりに母の家に行き、
晩ご飯を一緒に食べたり、
休日には京都に行って、
保津川下りをしたりしたそうなんです。
事情を知るという事はどういうことなんでしょうか
保津川を下れなかった私は今日ここで演劇をしています。
楽しい時間を重ねてもお付き合いはできません。
事情を知れたらセックスできたんやろうか
あの人と結婚できたんやろうか。
おわり
「俺が、初めておっぱいを見たのは・・・」